来場者様からの質問
会場に設けたアンケートBOXには
ご来場いただいたお客様より、ご質問が多く寄せられています。
その一部を、ご紹介いたします。
娘(大学3年)が卒論に「ハジチ」をと考えているようで資料などがどこで見れるかを知りたいみたいです。もし閲覧できる図書館等あれば教えていただけるとたすかります。(女性 50代 宜野湾市)
琉球大学図書館、沖縄県立図書館、読谷村ゆんたんざミュージアム、浦添市立図書館、北谷街図書館などを訪ねてみてください。残念ながら、すべての資料を一度に閲覧できる図書館はありませんので、所属大学図書館でのレファレンスや情報検索の研修を受けることもお勧めします。沖縄情報統合検索システム、cinii、国会図書館などの検索などもご活用ください。
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「大和に連れて行かれる」他理由はありますが男性がハジチをしていないことも考慮するとやはり女性が男性の所有物的な扱い、所有物の証、示し、傷をつけることで他人に奪わせない(わざと傷をつけて商品価値を下げる・・・)等の意味があったのではと考えてしまいます。研究の中で発表されているようでしたらご教授下さい。 早大所蔵品や見学できるものがあれば知りたい。(男性 40代 東京都)
早稲田大学の図書館には、『南島入墨婦人の研究』『南嶋入墨考』などの書籍が収蔵されています。 現在、小原一夫資料の所在は調査中です。男性にハジチがないのは、そういうものだとしか言いようがありません。 世界的にも、男性はイレズミをして女性はしない。また逆の例もあります。 男性は腕にウマグァー(馬のこと)と呼ばれる簡単な線彫りをしていたり、「力」などの文字を彫っていました。 しかし、手の甲に入れることはありませんでした。沖縄の人々は、男女のあり方を装いで区別していたと考えています。 男女の身体のあり方に権力関係を見出すことは簡単ですが、いささか図式的な見方でもあります。 例えば、中国女性の纏足の靴を研究したドロシー・コーは、纏足をすることは当時の女性たちにとってまともな人間になることで、大人の女性たちのコミュニティーに加入するために必要な資格であった。 そして、女性たちは纏足の靴を作ることで裁縫の技術を証明し、周囲の人々を吉祥文様の刺繍や色の組み合わせによって守護することにつながったと指摘しています。ドロシー・コーは従来の男性中心の性的魅力を中心にした理解と異なる見解を打ち出しているのです。(ドロシー・コー2005年『纏足の靴』平凡社)現在でも#KuToo運動があり私も支援していますが、纏足は沖縄のハジチと共通した心情でおこなわれてきたことがわかりますし、自ら進んで纏足をおこなっている女性たちもいました。このように、物事は一面的ではありません。ブラジャーを例にとれば、70年代に女性解放のシンボルとしてブラジャーは焼き捨てられ、一時期ノーブラが流行しましたが、80年代にはブラジャーは再び女性たちに装着されるようになりました。ひょっとしたら、100年後に「当時の女性たちはあんな窮屈なブラジャーをしていてかわいそう」と思われる可能性がありますが、現在の女性たちは喜々として自ら下着を選んでいますし、「男性の所有物としてブラジャーをしているのでは」と指摘しても、きょとんとするのではないでしょうか。
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父親(他界)が戦前台湾基隆(キールン)に住んでいたので現在台湾に関する資料を集めています。日本統治時代の台湾の資料はありますがその頃の基隆について知りたいです。父は専売局に勤めていたらしいです。(すみません、ハジチについての質問ではありません)(女性 60代 うるま市)
台湾の新北市にある国立台湾図書館では、戦前に日本語で出版された雑誌の記事をデータベースで公開しています。一度お出かけになって相談してみてください。親切に対応してもらえます。データベースのアクセスには、IDとパスワードがいります。また、この図書館では当時の台湾内で出版された本や統計書などの複製本を直接手に取ることができます。専売局にお勤めなら、お名前は「台湾総督府職員録」で調べられるはずです。こちらもデータベース化されていて、お隣の台湾展で調べることができましたがお試しになりましたでしょうか。
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今回の展示ではアイヌの刺青についての言及はなかったように思いますが、台湾、沖縄とアイヌでは何か共通点、あるいは明確な違いはありますでしょうか?同じ東アジアというだけでアイヌも同じグループに入れてしまうのは乱暴でしょうか?(男性 30代 千葉県)
展示監修者は、アイヌのイレズミ史について博士論文で文献研究はおこなっています。ただし、実際に自分で調査をしていないこともあり、会場の広さにも制約があります。焦点がぼやけるので、展示構成には組みこんでいません。アイヌ女性のイレズミは、幼いころから手と口の周囲に入れて、徐々に拡張しました。一種の通過儀礼と考えられます。1871(明治4)年に、女性のイレズミは男性の耳輪とともに開拓使により禁止されています。沖縄や台湾と同じく同化政策が取られた結果、イレズミは習慣としては失われました。
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地域によってハジチの違いがあると聞きましたが、地域というよりはハジチャーの 出身地で違いがあるのかなという印象をうけましたが、実際はそうなのでしょうか?(女性 20代 沖縄市)
ご指摘のとおりの地域があって、奄美大島などは、ハジチャーがいくつかの図柄のパターンを持っていて、それを組み合わせていたと推定しています。 また、台湾のタイヤル、セデック、タロコは、顔にイレズミを入れていました。 この角度やパータンは集落ごとに異なったと台湾の研究者は指摘しましたが、展示監修者自身は施術師によって異なっていたのではないか、と考えています。 ただし、沖縄本島のハジチが本当に不思議なのは、あんなに南北に長い島で、ハジチャー(施術師)が多くいたはずなのに、ほぼ同じ文様が大きさや幅は異なっていても突かれていたことです。 いずれにせよ、どんなハジチャーがいて、その人がどんな模様を突いていたのかについては小原一夫氏や三宅宗悦氏による1930年代の調査に遡ってもほぼわかりません。 今残されている記録から、考えていくしかないと考えています。
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質問ですが、本展では、ハジチという伝統文化についての豊富な資料の展示を通して、現代日本のあり方を問いなおすと山本先生が仰っておられます。展示の中で、現代日本について言及している部分がなかったように思うのですが、先生が、ハジチと台湾の入れずみの復興を通して、現代日本が考えなければならない問題についてどのように指摘されるか、お聞かせいただければ幸いです。(女性 20代 大阪府)
質問ありがとうございます。 さて、①宗主国に同化させられていた先住民族が文化復興を模索すること。 ②その過程で、イレズミを再び施しだす社会があることを、「知っておく」というのが21世紀の社会的教養なのだと展示企画者は考えています。台湾の事例でこの状況を示せたことで、今回の展示のミッションを果たしたと考えています。 では、台湾や太平洋の各地のあり方に比べて、現在の沖縄の人々とハジチはどのような関係で、どのように展開するのでしょうか? という点や今後の日本とイレズミ・タトゥーについてはどう考えたらよいかは、「おわりに」のパネルで示唆しました。現代日本とタトゥーの関係は、展示のなかで、私たちの側から解答を出すのはいわば「押し付け」です。現代日本とタトゥーの関係は、展示のほか、企画監修者が書いた文章、監修者へに取材した報道記事などをご覧になっていただいたうえで、来場者の方々にそれぞれ考えてもらいたい点です。以上です。
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私の祖母は両手甲にハジチをやっていました。とても芸術的できれかったです。祖母の姉妹にはほとんどハジチをやっていましたが、タンメー達(男性)のハジチは見うけられませんでした。 沖縄の男性がハジチをしているのが少ないのはなぜ?知りたいです。(男性 80代 北谷町)
男性にハジチがないのは、そういうものだとしか言いようがありません。世界的にも、男性はイレズミをして女性はしない。また逆の例もあります。男性は腕にウマグァー(馬のこと)と呼ばれる簡単な線彫りをしていたり、「力」などの文字を彫っていました。しかし、手の甲に入れることはありませんでした。沖縄の人々は、男女のあり方を装いで区別していたのでしょうね。
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多くの地域でタトゥーを入れる習慣がありますが、何のために入れ始めたのでしょうか? 魔除けや宗教等の理由もあると思いますが、ペイントではなく、消すことが出来ないタトゥーをするようになったことが不思議に思う。 諸説あると思いますがどのような考えが始まりかに興味を持ちました。(男性 40代 与那原(東京出身))
諸説あります。 企画監修者はこちらの卒業論文を書いています。参考になるかもしれません。「身体変工―身体観の博物誌」 ほか、吉岡郁夫『身体の文化人類学』(雄山閣)もおすすめします。